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倉敷美観地区

先週の金曜日から昨日まで広島市に行っておりました。
自宅から広島市までは、瀬戸大橋経由でノンストップで走れば3時間半ぐらいで着きますが、途中休憩を兼ねて倉敷美観地区に寄りました。
美観地区に行くのは実に十数年ぶりです。



水路_edited-1

高知自動車道の南国ICから、2時間弱で倉敷美観地区に着きました。
初冬だというのに20℃近い陽気です。
ウィークデーなので観光客も少なめです。



通り

倉敷川の両岸には江戸時代の屋敷がたくさん残っていて、川沿いの屋敷の多くは土産物売場や喫茶店などを営んでいます。



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露地裏通りです。
白壁が素晴らしいです。



舟_edited-2

倉敷川の川舟流しです。
船頭さんがガイドを兼ねて説明していました。
人気があるようで外国人のグループも乗っていましたよ。



人力車

人力車もありました。
こちらの方は手持ちぶさたでした。



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国指定重要文化財の旧大原家住宅まで来ました。
庭園の紅葉がキレイだとの事ですが、対岸の大原美術館へ先に行くことにしました。




大原美術館

外から見た大原美術館です。
大原美術館は倉敷紡績を経営していた大原孫三郎が、洋画家の児島虎次郎に託して収集した美術品を展示する為、1930年に建設した日本有数の美術館です。



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大原美術館本館の入口付近です。まるでギリシアの神殿みたいです。
一つのチケットで、本館、別館、工芸館、東洋館へ入館出来ます。
内部は撮影禁止なので、館外の4作品をアップします。




ヨハネ カレーの市民

本館入り口の両側に、ロダンの「洗礼者ヨハネ」と「カレーの市民」のブロンズ像が立っています。



横たわる母と子 山つくり

分館前庭に鎮座するヘンリームーアの「横たわる母と子」と、イサム・ノグチの「山つくり」です。

館内にはエル・グレコの有名な「受胎告知」や、モネ、ルノアール、、ピカソ、マティス、ミレー、クールベ、ゴーギャン、セザンヌ、モロー、岸田劉生、萩原守衛、児島虎次郎などの多くの作品が展示されていました。
よくぞこれだけの作品を集めたものです。



昼食

美観地区にある老舗旅館のレストランで昼食に食べた、1日限定50食の「四季の散歩道御膳」です。
旬の食材を使ったお造り、揚げ物、煮物、焼き物などが12の小鉢に入っていて、なかなか美味しかったです(^^)



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日本と関係の深いタシケント

ウズベキスタン旅行8日間の最終日はヒヴァからウルゲンチまでバス移動し、ウルゲンチ空港からタシケントまで飛行機で飛んでタシケントを観光しました。
タシケントはウズベキスタンの首都で、人口250万人の中央アジア最大の近代的都市です。



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ウルゲンチ空港を飛び立って高度を上げているところです。
エンジンがジャマで見えにくいですが、眼下にはるかパミール高原から流れているアムダリヤ川が見えています。




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タシケントに着いて最初に日本人墓地へ行きました。

太平洋戦争の終戦直後、満洲や樺太に駐留していた日本兵約60万人が捕虜としてソビエト連邦内の各地に連行され、過酷な労働を強いられました。
当時ソ連の一共和国であったウズベキスタンにも約2万3千名の日本軍捕虜が移送され、各地で強制労働に従事し1956年までの間に884名が亡くなりました。

タシケントの日本人墓地には79名の日本人が眠っています。
地面には79名の墓石が並び、周りには桜の木が植えられていました。



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鎮魂碑には日本語でも「永遠の平和と友好 不戦の誓いの碑」と書かれていました。




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墓地にはウズベキスタン各地で亡くなった日本人の鎮魂碑も建っていました。




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日本人墓地の次に、日本人捕虜が強制労働によって建てたナヴォイ・オペラ・バレエ劇場に行きました。
1966年に起きた直下型の大地震でタシケントの建造物はほとんど崩壊しましたが、ナヴォイ劇場は無傷で多くのタシケント市民の避難所として使われたそうです。
このことがウズベク人が日本人に好感を持つ一つの要因になっているそうです。



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建物の裏側に建設に関わった日本人を讃えるプレートが設置されています。




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プレートはロシア語、日本語、英語、ウズベク語でかかれています。
日本人捕虜が「日本国民」となっているのは、日本人捕虜は旧ソ連の捕虜であってウズベキスタンの捕虜ではなかったからだとか。
ここらにも日本に対する配慮が感じられます。




DSC_1294.jpg

最後に震災後に再建された新市街地のアムール・ティムール広場に行きました。
ティムール像後方の左の建物は旧ソ連式のホテル・ウズベキスタンで、右のドームのある建物は国際会議場です。




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ティムール像を横から見たところです。
この馬に乗ったティムール像は、テムールの故郷シャフリサブスにある像より精悍で強そうでした。




DSC00177_201810222242395cb.jpg

国際会議場のドーム屋根の上につがいのコウノトリの像が取り付けられていました。
コウノトリは幸福を呼ぶ鳥としてウズベキスタンの国鳥に指定されているそうです。
旧ソ連から独立して27年にしかならない発展途上国のウズベキスタン。すべてのウズベク人に幸福が訪れんことを。。。


これでウズベキスタン旅行記を終えますが、数回の連載のつもりが9連載になってしまいました。
長いお付き合い、有り難うございました。



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21 : 02 : 18 | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

イチャンカラの街歩き

カラカル・パクスタン共和国から、元来た道をUターンしヒヴァに帰ってきました。
ヒヴァはウルゲンチ市から30kmのアムダリヤ川下流のオアシス都市で、古代ペルシャ時代からカラクム砂漠への出口として繁栄しました。
ヒヴァの中央部には日干しレンガで出来た大きな城壁があり、街は城内と場外にはっきりと分かれています。
この城内をイチャンカラと呼び、城内には20のモスクとメドレセ、6基のミナレットなどの多くの遺跡が残っていて、1991年にユネスコの世界遺産に登録されています。



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イチャンカラの城壁を外から見たところです。
城壁の高さは有に10m以上あります。
それでは城内に入ってみよう。



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青いタイルの模様が美しいカルタ・ミナルです。
カルタ・ミナルは未完成のミナレットで、建設を命じたハーンが戦死したため高さ26mで建設が中断しています。
完成していたら90mほどの高さになっていたそうです。
この周辺にはたくさんの土産物店が並んでいます。



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イスラム・ホジャ・メドレセのミナレットです。
このミナレットはヒヴァで一番高く44.5mあるそうです。



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次にタシュ・ハウリ宮殿へ入場しました。
ここは163もの部屋のあるハーレムの一角です。
向かって左側に4人の正妻の部屋が見えています。



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4人の正妻の部屋の天井です。
それぞれ装飾のデザインが違っていました。




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王の部屋は正妻の部屋より少し高くなっていました。右の写真は内部です。



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タシュ・ハウリ宮殿はヒヴァで最も豪華なタイルで装飾されていて、その美しさには目を奪われます。
その美しい宮殿の中にも土産店があったりします。



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続いて特色のある多柱式建築のジュマ・モスクに入りました。
このモスクは10世紀から18世紀末まで修復を重ねて現在の形になっていますが、イスラムのモスクと言うより東アジアの寺院に近いように感じました。



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柱は213本ありますが、時代によって彫刻のデザインが違っています。
10世紀当時の柱も7本残っているそうです。

これから後は自由時間となり、一人でイチャンカラの街歩きをしてみました。



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通路にはたくさんの土産物店が並び、観光客だけでなく現地の人も大勢歩いていました。
それでは出会った人の写真をアップします。



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何をするわけでもなく佇んでいた地元の老人たち。
高齢の男性はほとんどの人が帽子をかぶっていました。



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土産物店前の子どもたち。



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楽器を売っていたご婦人。



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孫と自転車で遊んでいるお爺ちゃん。



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カメラを向けるとポーズを取ってくれた女の子。

実際に会ったウズベク人は実にフレンドリーで開放的でした。
明日はいよいよツアーの最終日です。
このウズベキスタン旅行記も終わりが近づいてきました。
最終回へ続く。。。



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カラカル・パクスタン共和国の2つのカラ

ウズベキスタン6日目は、ウズベキスタン共和国の西部に位置する自治共和国であるカラカル・パキスタン共和国へ行き、二つの遺跡を観光した後Uターンしてヒヴァのイチャンカラを観光しました。

午前8時にヒヴァを出発し、ウルゲンチ市経由でカラカル・パクスタンに向かいました。



必要なものDSC09793.jpg

この日は日曜日でもあり、ウルゲンチで大規模なバザールが開催されていました。
このバザールでは、日常生活に必要なものはほとんど売っているとの事でしたが、生きた牛も売っているとは驚きでした。



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ウルゲンチ市近郊をアラル海に向けて流れるアムダリヤ川です。
この周辺では川の水量は豊富ですが、アラル海に行き着くまでに川の水が無くなっているそうです。
アラル海はこのアムダリヤ川と北のカザフスタンを流れるシルダリヤ川を水源としていますが、両川の水を綿花畑などの灌漑に採りすぎた為、アラル海の8割以上が干上がっています。 



DSC_0976.jpg

ヒヴァから2時間ほどでカラカル・パクスタン共和国のトプラク・カラに着きました。
カラとは都城のことで、このトプラク・カラは紀元前1世紀から紀元後5世紀に築かれたものだそうです。
当時はこの近くをアムダリヤ川が流れていたそうですが、その後流れが変わって農耕が出来なくなりトプラク・カラは放棄されたとのことです。




DSC09834.jpg DSC09833.jpg

トプラク・カラは日干しレンガ粘土で出来ていて、地面の所々に右の写真のような穴が空いていました。
おそらくこの下に部屋か空洞があると思われます。




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次にアヤズ・カラへ行きました。
遠くに見える小高い場所がアヤズ・カラです。
駐車場から徒歩で30分位で行けるとのことだったので、全員が歩いて行きました。




DSC_0986_edited-1.jpg

城内は野球場が2~3個入るくらい広く、周りを城壁が囲んでいます。



DSC_0994.jpg

東方向にはもう1つの小さなカラがあり、かってはこちらのカラと橋でつながっていたそうです。
この周辺は砂漠化していますが、遠くの方に水路や樹木などが見えています。



DSC09873.jpg DSC09882.jpg

城壁が比較的きれいに残っている場所もありました。
アヤズ・カラは古代ホレズム王国のカラで、6~7世紀に築かれたものだそうです。
右の写真は遺跡ではございません(^^)




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北西方向には砂漠が広がっていて、遊牧民の白いユルタ(移動可能な天幕式住居)と乗ってきたバスが見えています。
この方向に20世紀最大の環境破壊で有名なアラル海があります。



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駐車場まで帰ってきました。
昼食はこのユルタの中でいただくことになっています。



DSC09899 - コピー

ユルタの天井部分です。
内部は思っていたよりカラフルできれいでした。



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昼食はナン、野菜サラダ、挽肉の入ったスープ、そして上の写真のピーマンの中にご飯と挽肉の入った料理でした。
この料理、見た目は決して良くありませんが意外と美味しかったです。



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ブハラからヒヴァへ

ウズベキスタン5日目はブハラから450km西のヒヴァへの移動日です。
スケジュールは午前8時にブハラのホテルを出発し、途中昼食を食べて午後5時にヒヴァに着く予定になっています。



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ブハラ郊外の広大な綿花畑です。
しばらくこのような緑の大地が続きました。



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途中、巨大なタンクを乗せたトラックと行き違いました。
ブハラには天然ガスの油田と工場があるとのことで、天然ガス製品を運んでいる車両だとのこと。
ウズベキスタンの主要産業は綿花栽培ですが、天然資源にも恵まれ膨大な天然ガス、手つかずの石油を埋蔵し、更に金、銅、鉛、ウランなどの埋蔵量も世界上位だそうです。



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更に進むと大地の緑は無くなり、黄土色の砂漠になってきました。
バスから植生の変化を見るのも楽しいものです。



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途中から道路は片側2車線の高速道路に変わり、乗用車やトラックが時速100km以上でぶっ飛ばしています。



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ブハラから約4時間走って、昼食のため高速道路沿いのチャイハナ(茶屋)で停車しました。
ショボいと言わないで下さいね。なんせ砂漠のど真ん中なので食事にありつけるだけで有り難いというもの。



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昼食のメニューはシャシリクという串焼き肉がメインです。
屋外でお兄さんが細長いバーベキューコンロで焼いているところです。
ところが急に天候が一変し、雷雲が発生して豪雨になりました。



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バーベキューは屋根の下に移動しました。
串焼きは牛肉と羊肉の2本が出されましたが、どちらも甲乙付けがたい美味しさでした。
雷雨は20分ほどで小降りになりましたが、砂漠の中でこんな事があるとは驚きです。



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バスは何のトラブルもなく午後5時にはヒヴァのホテルに着きました。
ホテルはイチャンカラ内の古ぼけた建物で、荷物を預けてさっそく世界遺産のイチャンカラ観光に出かけました。



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最初にヒヴァを一望出来るクフナ・アルクの見張り台に行きました。
上の写真は見張り台から北方向を見たところです。
この城壁に囲まれた城内がイチャンカラと呼ばれる区域です。



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一方こちらは南方向です。
遠くにイスラム・ホジャ・メドレセのミナレットやカルタ・ミナルを望めます
素晴らしい絶景!これぞイチャンカラ!!




DSC_0940.jpg

夕日に照らされたカルタ・ミナルです。
この日は正味30分の観光でしたが、明日もイチャンカラ観光があるので楽しみです。

ところで。。。



DSC09644.jpg

夕食の後、一風呂浴びて長旅の疲れを癒やそうとしましたが、お湯も水も全然出ません。
まだ午後9時過ぎだというのに!
やはり砂漠の街は水事情が良くないようです。
翌日の午前4時頃にお湯が出たのでシャワーを浴びました。



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