FC2ブログ

ちらっと「鞆の浦散策」その2

鞆の浦港の常夜灯を見た後、すぐ近くの「いろは丸展示館」へ入館しました。
龍馬に関する資料館なら、土佐人として見ずにいられましょうか!



展示館

展示館入り口奥に龍馬が立って迎えてくれます。
この展示館は江戸時代の土蔵を利用し、約30年前に建築されたそうです。

江戸時代末期の1867年に、龍馬と海援隊が乗った「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突し「いろは丸」は沈没しました。
その事故の損害賠償交渉が鞆の浦で行われ、龍馬側は鉄砲400丁などの銃火器や金塊などを積んでいたと主張し、最終的に紀州藩に7万両支払わせました。
2006年に行われた沈没場所の調査では、龍馬が主張した鉄砲などの銃火器は一切発見されなかったそうです。
徳川御三家の紀州藩を相手にハッタリをかますとは、さすがに龍馬らしいですね(^^)




館内2_edited-1 積み荷

館内1階には時代背景の説明や衝突の場面、引き上げられた「いろは丸」の積み荷などが展示されていました。




かくれ部屋

龍馬は鞆の浦の枡屋清右衛門宅に4日間身を潜め紀州藩と談判したそうですが、龍馬の隠れ部屋が展示館2階に再現されていました。
蝋人形の龍馬が座っていますが、龍馬の顔がちょっと違うような・・・


いろは丸展示館を出て古寺群を見ながらホテルの駐車場まで帰ることにしました。
鞆の浦には19カ所も古寺があるそうですが、時間の関係でその一部を歩きながら外から見ることにしました。



阿弥陀寺 妙蓮寺

阿弥陀寺と妙蓮寺の山門。


本禅坊

南禅坊の山門。
国の登録有形文化財に指定されているそうです。



首塚

毛利氏に滅ぼされた尼子十勇士の一人、山中鹿之助の首塚です。
町中に首塚とは(-_-)



寺院1

古寺ばかりではなく大きな神社もありました。
この小さな港町にこんなに多くの寺院や神社があるということは、昔は随分栄えていたことが想像出来ます。
この神社は沼名前(ぬまくま)神社といい、大綿津見命と須佐之男命を祀っているそうです。
綿津見は海の神様なので、釣りの安全を願って参拝しておこう。




能舞台2_edited-1

参道右側に能舞台がありました。
説明板によると、この能舞台は豊臣秀吉が愛用し、伏見城内にあったものを初代福山藩主が二代将軍徳川秀忠から譲り受け、三代藩主がこの神社に寄進したものだそうです。
国の重要文化財に指定されています。



神社全景

沼名前神社の社殿です。
どっしりとした重厚な建物でした。

約1時間半の散策でしたが、鞆の浦をもっと楽しむには1,2日必要だと思いました。



工事

福山東インターに引き返し山陽道を広島向けて走っていると、7月の豪雨で土砂が高速道路に流れ込んでいる場所が何カ所かありました。復旧工事の為1車線走行になっている区間もあり、平日だというのに数キロメートルの渋滞が起きていました。

今年の夏は豪雨、台風、大地震が日本列島に大きな被害をもたらしましたが、まだまだ油断が出来ません。
猛烈な勢力の台風24号が、週末以降日本列島に接近しそうです。
昨年も10下旬に台風が襲来し、大きな傷跡を残しました。
ここ数年の異常気象が気になります。



←ランキングに参加しています。応援のクリックお願いします(^_^)v
20 : 35 : 16 | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

ちらっと「鞆の浦散策」その1

一昨日の金曜日、広島市に向かって山陽道を走っていると、助手席の相方さんが「鞆の浦の鯛めし」を食べたいと言い出しました。
鞆の浦と言えば江戸時代の古い町並みが残っていて、「崖の上のポニョ」の舞台になった港町ですよね。
よしっ!まだ行ったことがないのでポニョっと行ってみるか。 ← 行かんと後が恐いがデス(^^;)

福山東ICで山陽道を下り、正午前にホテル鴎風亭の1階にあるお食事処「海浬」行きました。
どうしてここにしたかというと、ホテルのすぐ前に県営駐車場があるので、昼食後に町歩きをするのに便利だからです。 



鯛料理2

相方さんはせっかく鞆の浦まで来たからと「しおうた膳」をオーダーしました。
小鉢がたくさんあって美味しそう。 2500円也。
一方ワタクシは。



鯛料理1

胃がもたれていたので、ワンランク下げて「鯛茶漬け膳」にしました。 1800円也
700円も安いと随分見栄えが違います(^^;)



お茶漬け デザート

鯛の切り身は半分を刺身で食べ、残りの半分をお茶漬けにしました。
いや~、これは旨かった。
食後のデザートもなかなかよかったです。

ホテルで町歩きのコース図をもらいましたが、車はホテルの駐車場に置いて行っても良いとのことでした。
ラッキー!駐車場代が浮いたぞ(^^)



街並み

ホテルを出て古い町並を歩きながら、有名な常夜灯を見に鞆の浦港へ向かいました。
街路の石畳が魚の鱗みたいです。



弁天島

海岸線に出て岸壁を歩いていると、弁天島の前を古めかしい船が通っています。
何なんだ!あの奇妙な船は??



いろは丸

謎の船は岸壁に接岸しました。船体に「平成いろは丸」と書いています。
いろは丸と言えば、鞆の浦沖で紀州藩の蒸気船と衝突して沈没した海援隊の蒸気船の船名です。
龍馬は莫大な賠償金を紀州藩からむしり取ったので紀州藩に恨まれていて、龍馬暗殺の犯人は紀州藩ではないかとの説もあるそうです。実際はどうなんでしょうね。

実はこの「平成のいろは丸」は、鞆の浦と沖合の仙酔島を結ぶ福山市市営の渡船でした。



港

渡船場から東方向に行くと鞆の浦港が見えてきました。
たくさんの船が停泊しています。
真正面に目的の常夜灯が見えています。



常夜灯

古い街並みを通って鞆の浦シンボルの常夜灯まで来ました。
思ったより大きな建造物でした。




側面

少し斜めから写しました。
側面に「安政六年己未七月」との刻字が見えます。
安政六年は西暦1859年なので明治元年の9年前になります。
常夜灯の灯火はニシン油を燃やしたそうです。




土台

常夜灯の基礎部分です。
海中の部分も入れると常夜灯の高さは10m位になり、港に残っている常夜灯では日本一の大きさだそうです。

目的の常夜灯まで来たので引き返そうかと思いましたが、元来たコースを引き返すのはあまりに勿体ないので、これから古寺群を散策してホテルまで帰ることしました。

おっと! その前に、常夜灯のすぐ隣の「いろは丸展示館」を見学してみよう。
次回へ続く・・・




←ランキングに参加しています。応援のクリックお願いします(^_^)v
19 : 52 : 24 | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

モハメッド・アリ・モスク&その他

エジプト滞在6日目はルクソールからにカイロに戻り、モハメド・アリ・モスクを見学して、ドバイ経由で帰国することになっています。



ルクソール

朝のナイル川ルクソール西岸です。
雲一つ無い晴天で、昨日よりも王家の谷のある山々がはっきり見えていました。
さよなら、ルクソール


メーンディッシュ

昼食はカイロ市内のレストランで食べました。
大皿の焼き飯風ライスは少しシナモンの味がしました。
チキンも独特の香辛料で味付けされていましたが、なかなか美味しかったです。
左上のモロヘイヤスープは少しスパイスの味がしましたが、とろみがあってこれも美味しかったです。
左下のエジプト風パンは中が空洞になっていて、下の写真のような具材を挟んで食べます。



たべもの4食べ物2
食べ物3食べ物5

得体の知れない練り物は遠慮して、左上のサラダのようなものを挟んで食べましたが、これが以外と美味しかったです。



フルーツ

またデザートのイチゴ、メロン、オレンジ、バナナなどのフルーツ類は大変甘く、日本のものより美味しいと思いました。




DSC_0345.jpg

昼食後、カイロ市内の小高い丘にある城壁(シタデル)の中に建っているモハメッド・アリ・モスクへ行きました。
シタデルはアイユーブ朝(1169-1250年)の創始者であるサラディンが、対十字軍の拠点として1176年にムカッタムの丘に築いた城塞です。カイロ市内を一望できる好立地にあるため、モハメッド・アリは後の時代にここへモスクを築きました。

ところでモハメッド・アリとは何者? 同名のアメリカのボクサーなら知ってるけど。
モハメッド・アリは19世紀半ば、当時オスマン・トルコの支配下にあったエジプトを事実上独立させ、近代化の基礎を築いた人物です。



モスク

城壁に囲まれたモハメッド・アリ・モスクです。
このモスクはイスタンブールのブルーモスクを模して建てられていて、大小いくつもの白いドームと2本のミナレット(尖塔)が印象的で、とても美しいモスクでした。
しかし残念ながら、時間の関係で中に入ることが出来ませんでした。



DSC08872.jpg

夕方、カイロ空港から帰路につきました。
カイロ空港の手荷物検査は大変厳しく、搭乗口までに3回の検査がありました。
1回目の検査はスムーズに通りましたが、2回目の検査の時に恐い顔をした検査官から荷物を開くよう命令されました。
その時引っかかったのが、土産物のハヤブサ神の置物です。
透視したときピストルか手榴弾のように見えたのでしょうね。
検査では靴とジャケットを脱がされ、ベルトも外されました。

その後無事に飛行機に乗り、ドバイ経由で関西国際空港に帰り着きましたが、外のバス停に出ると冷蔵庫のような寒さで風邪を引いてしまいました。帰国して今日で10日になりますが、未だに風邪が抜けません。ツタンカーメンの呪いかも(^_^;)

取り留めもないエジプト紀行を7回にわたり書かせて頂きました。
お付き合いのほど、ありがとうございましたm(_ _)m


←ランキングに参加しています。応援のクリックお願いします(^_^)v
17 : 58 : 00 | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

カルナック神殿&夜のルクソール神殿

エジプト5日目の午後はカルトゥーシュの店へ行った後、ルクソール東岸のカルナック神殿とクソール神殿へ行きました。


第1塔門

チケット売り場でチケットを買い、持ち物検査を受けた後、カルナック神殿目指して歩いていると第1塔門が見えてきました。
第1塔門は幅113m、高さ43mのエジプト最大の塔門で、実は未完成だそうです。

カルナック神殿はアメン大神殿、メンチュ神殿、ムート大神殿等の複合遺跡で、世界最大の神殿と言われています。
このうち観光客に公開されているのはアメン大神殿だけですが、それでも広さが約30haもあるそうです。



スフィンクス

第1塔門までの参道の両側には、頭が羊でで身体がライオンのスフィンクスがズラッと並んでいます。
そしてスフィンクスの前足の間には、小さなファラオが彫られています。



足場 足場2

第1塔門の裏側には、建設時の足場に使った煉瓦や土砂の一部が残っていました。



第一中庭

第一塔門を抜けると第一中庭に出ます。
ここにも大きな円柱が残っていますが、ほとんどが壊れてしまっています。
第一中庭の遠方に第二塔門と大列柱室が見えています。



アメン神殿

カルナック神殿の第2塔門です。入口に巨大なファラオの像が2体建っていて、奥の方に大列柱室の柱の一部が見えています。



ラムセス2世

第二塔門前のパネジェムの巨像です。
実はこのパネジェムの巨像は元々はラムセス2世の像だったものを、後のファラオのパネジェムが名前(ヒエログリフ)を書き換えてしまったため、そう呼ばれるようになったんだそうです。 やることがセコイ(^^)
ラムセス2世の足元の小さい像は、王妃のネフェルタリだそうです。




大列柱

第2塔門を抜けると大列柱室になっていて、巨大な円筒形の列柱が134本も立っていて高さは高いもので23mもあるそうです。 この大列柱室はラムセス1世が建設を始め、セティ1世が引き継ぎ、ラムセス2世が完成せました。
列柱は大きいだけでなく表面にレリーフやヒエログリフが刻まれ、色の残っているレリーフもありました。



オベリスク

大列柱室を出ると、トトメス1世のオベリスクとハトシェプスト女王のオベリスクが見えて来ます。
上の写真はハトシェプスト女王のオベリスクで、高さがエジプト一の30m、重さは323トンあるそうです。
ハトシェプストを恨むトトメス3世は、このオベリスクの周りに塀を建て見えなくなるようにしたそうですが、そのことで結果的に良い保存状態が保たれたということです。



オベリスク2

オベリスクは一対で立てられ、もう1本の折れたハトシェプストのオベリスクの先端部が聖なる池の近くにありました。
レリーフやヒエログリフがはっきり残っていて綺麗です。



フンコロガシ

聖なる池の近くにあるスカラベの像です。
「スカラベ」の日本名は「フンコロガシ」なので、日本人には良いイメージではありませんが、古代のエジプト人は糞玉を転がす姿を太陽の回転を司るケペラ神に重ね、「スカラベ」をケペラ神の化身と考えたそうです。
このスカラベの像を左回りに3回廻ると、願い事が叶うというジンクスがあるそうです。



聖池

アメン大神殿の中央部には120×77mもある聖なる池があり、神殿の儀式を行なう前に神官たちが身を清めたそうです。


カルナック神殿を観光した後、夜のライトアップされたルクソール神殿へ行きました。
ルクソール神殿はカルナック神殿の中心・アメン大神殿の付属神殿として建てられ、両神殿を結ぶ3kmもの参道の両脇にスフィンクスが並んでいたそうです。
神殿の主要な部分はアメンヘテプ3世が建造し、その後、ツタンカーメンやラムセス2世によって増設されました。



ルクソール神殿

ライトアップされたルクソール神殿の第1塔門です。
夜の神殿も神秘的で中々良いものです(^^)

第1塔門の前には、エジプトで2番目に高い高さ25メートルのオベリスクが1本立っています。
オベリスクは本来左右2本ありましたが、右側の1本はフランスに贈られてパリのコンコルド広場に立っています。



第1塔門

第1塔門前の一対のラムセス2世像です。
右の像は顔が欠けています。



DSC07596.jpg

中に入るとツタンカーメン王アンケセナーメン王妃の坐像がありました。



ダンス

これはベリーダンスを描いた世界最古のレリーフだそうです。
何人かの女性がイナバウアーの様に反って踊っています。



列柱室

列柱もライトアップされていて厳かな雰囲気を醸し出していました。



DSC07604.jpg

神殿の上に、イスラム教のモスクが建っている場所がありました。
ルクソール神殿は15mもの砂に埋まっていたので、後の時代にイスラム教徒が知らずにモスクを建てたそうです。

夜のルクソール神殿は細かいレリーフなどは見ることが出来ませんでしたが、昼とは違った神秘的な雰囲気を味わうことが出来ました。

さぁ、明日はいよいよエジプト最後の日です。



←ランキングに参加しています。応援のクリックお願いします(^_^)v
18 : 49 : 55 | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑

メムノンの巨像&王家の谷&ハトシェプスト女王葬祭殿


エジプト5日目はルクソールの遺跡群を観光しました。
ルクソールは旧王国時代から新王国時代にエジプトの首都テーベがあった場所で、日の昇る方向であるナイル川東岸には生者の町としてカルナック神殿やルクソール神殿などの建物が建ち、日の沈む西岸は死者の町として王家の谷や葬祭殿があります。



DSC07358_edited-1.jpg

朝起きてナイル川西岸を見て見ると、早くも観光用の熱気球が上がり初めていました。
この熱気球、2013年に飛行中に火災事故を起こし、日本人観光客4人を含む19名が犠牲になっています。
それでもトルコなどの熱気球に比べると安価なので、熱気球遊覧は人気のある観光コースだそうです。

この日は午前中西岸のメムノンの巨像、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿を観光し、午後は東岸のカルナック神殿とルクソール神殿を観光しました。



DSC_0243.jpg

クルーズ船からバスに乗り換え、ルクソール市街地数km上流に20年前に出来た橋を渡り、最初にアメンホテプ3世の像であるメムノンの巨像へ行きました。
西岸遺跡群の入口に立つこの巨像の背後には、かってアメンホテプ3世葬祭殿が建っていました。
名残の石像が見えています。



DSC07367.jpg DSC07373.jpg

左右2体のアメンホテプ3世像です。高さは約18mあるそうです。クリックすれば大きくなります。
左側の像は一枚岩ですが、右の像は下半身は一枚岩ですが上半身はパーツになる岩を積み上げて造られています。
二つの像とも相当痛んでおり、右の像の窪んだ場所にはハトがたくさん棲んでいました。



王家の谷

次に王家の谷に行きましたが、王家の谷は撮影禁止になっていて写真を撮ることが出来ませんでした。上の写真はウィキペディアからお借りしました。

王家の谷には歴代ファラオが埋葬されており、現在約60基の墓が発見されていて、その内12の墓が公開されています。
ラムセス3世、ラムセス6世、ツタンカーメン、ラムセス9世の4墓の内部に入りましたが、どの墓も壁一面に色彩豊かなヒエログリフやレリーフが残されていて、3500年前の世界がそこにありました。
ツタンカーメンの墓には彼のミイラも安置されていました。



Tut Ankh Amun (15)

ツタンカーメンの墓の壁に描かれている壁画の一部です。王家の谷で買ったお土産のDVDからコピーしました。
本物とは比ぶべくもありませんが、墓内部をイメージしてみて下さい(^^)



<DSC07380.jpg DSC07383.jpg

次に古代エジプト唯一の女性ファラオであるハトシェプスト女王葬祭殿へ行きました。
駐車場にバスを停めトロッコ風の電気自動車に乗りました。

現地ガイドが「ハトシェプスト」とは言いにくいので、「ハトちゃん」と呼んで下さいと言いました。
それならラムセス2世はラムちゃんと呼ぼう。 ← かわいすぎる(^^)



DSC07433.jpg

電気自動車を降りて、真っ直ぐな通路を約200m歩いてハトシェプスト女王葬祭殿へ向かいます。
神殿は王家の谷東側の崖を利用して造られています。

1997年11月17日午前9時頃、神殿後ろの断崖に身を潜めていた6人のイスラム原理主義過激派が、約200人の観光客めがけて銃を乱射し、日本人10人を含む63名が犠牲になりました。 
20年も前の事ですが、テレビニュースで報道されていたことを微かに憶えています。



DSC07389_edited-2.jpg

神殿が近づいてきました。
何と美しい神殿でしょうか! 3500年も前のものとは思もえないモダンな建造物です。
この神殿を設計・建築したのは、女王の側近であるセンムトという人物だったそうです。



DSC07398.jpg

3階のテラスに女王の像が何体か立っています。
しかしこれ、全部レプリカなんです。
女王の像は、後継者のトトメス3世によってことごとく破壊されているのです。



DSC07401.jpg

3階テラスの奥に岩窟の至聖所がありました。
左の黒い服の人は警察官らしく、自動小銃を持っています。
観光客を守ってくれているので感謝したいのですが、何か気になります。



DSC07406.jpg

花崗岩製の至聖所入口です。
レリーフが綺麗です。



DSC07409.jpg

至聖所の内部です。
天井が黒く塗られているのは、冥界を現しているからかな?

この後バスでクルーズ船に戻り、昼食の後ルクソール東岸のカルナック神殿とルクソール神殿を観光しました。
次回へ続く。


←ランキングに参加しています。応援のクリックお願いします(^_^)v
17 : 57 : 04 | 観光 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
| ホーム | 次ページ

プロフィール

なんこくまほら

Author:なんこくまほら
南国市、高知県のイベント、見所、美味しいもの情報。など
←ランキングに参加しています。↑ポチッとお願いします。

最新記事

最新コメント

カレンダー

08 | 2018/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (416)
見どころ (114)
観光 (149)
独り言 (6)
食べ物 (120)
匠 (2)
ショップの特選品 (255)
アート (15)
イベント (285)
新商品情報 (73)
カルチャー (9)
空の駅協議会の行事 (10)
シャモ料理 (18)
釣り (67)
後免町活性化 (169)
販促活動 (9)
ごめんの軽トラ市 (36)
戦争の記録 (18)
神社仏閣 (51)

楽しんでいってね~。

現在の閲覧者数:

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
地域情報
141位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
四国地方
13位
アクセスランキングを見る>>

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR

携帯にURLを送る

まほらのブログの訪問者数